<あらすじ>
ターニャ・フォン・デグレチャフ中佐は、新編されるサラマンダー戦闘団の指揮官に任じられ、再び苛烈な戦線へと身を投じる。
追い打ちをかけたのは、早すぎる連邦の冬だ。
帝国は出口のない泥沼でもがいていた。
各国が求めるのは、すべてを終わらせるための圧倒的勝利。
しかし、誰も知らない。
自分達が何を望んで、それが本当は何を意味するのかを。
<レビュー>
異世界戦争アニメの第2期です。
タイトルには「幼女」とありますが、第2期ではターニャも少し少女に近い作画になっています。
第1期との大きな違いは、戦争の見せ方です。
第1期でも帝国の戦況そのものに余裕があったわけではありません。
しかし、圧倒的な戦闘力を持つ主人公ターニャが局地戦で次々に戦果を上げるため、「帝国が勝っている」という爽快感を感じやすい作品でした。
第2期では、その見え方が変わります。
帝国は相変わらず戦場では勝っています。
しかし、多くの周辺国を敵に回したことで戦線は長大化し、防衛にも進軍にも厳しい状況となっています。
さらに、戦線が膠着すると帝国は急速に苦しくなっていきます。
攻勢を続けている間は、砦や補給基地を奪うことで、敵側の食料や物資を前線の補給に回すこともできました。
砂漠では補給基地そのものを狙い、食料や物資を確保する場面も描かれています。
しかし、戦線が膠着すると、それも難しくなります。
自軍の長大な補給線を維持しながら、食料、弾薬、人員をひたすら消耗し続ける。
さらに冬による補給事情の悪化。
補給線への攻撃。
疲弊する兵士。
増えていく人的被害。
勝っているのに辛い。
これが第2期の世界です。
第1期は、子供の姿をした主人公が戦場で無双する。
そんなアンバランスな面白さがあり、かなりエンターテインメント色の強い作品でした。
第2期では、それに加えて、「なぜ戦争は終わらないのか?」
というテーマ性が強く出るようになりました。
ターニャがどれだけ圧倒的に勝っても、戦争という大枠で見れば、それは局地的な勝利の一つに過ぎません。
第2期では、政治、世論、軍と政治家の軋轢、指揮官同士の思惑のすれ違いなども描かれます。
いかに優れた英雄が一人いても、それだけでは平和には届かない。
そんな皮肉を感じてしまいます。
だからこそ、シナリオとしてはかなり深くなっています。
帝国は負けることを許されない。
しかし、永遠に勝ち続けることも物理的に不可能です。
しかも、ここまで人的・金銭的なコストを払い続けてしまうと、それに見合わない条件で戦争を終わらせることも難しくなります。
ここまで犠牲を払った以上、
「これだけ犠牲を出したのだから、もっと大きな成果を得なければならない」
という考えにもなってしまう。
勝っているからこそ、
「もう少し勝てば、もっと良い条件で終われる」
と思ってしまう。
しかし、その「もう少し」が積み重なることで、戦争は終わらなくなっていきます。
世論。政治。軍事。敵国。
そのすべてを納得させられる勝利を求め続ければ、最終的には帝国自身が立ち行かなくなるまで、戦争を止められないのではないか。
そんな怖さまで感じるようになりました。
シリーズでは、未来の人々がかつての帝国を振り返る描写もあります。
そのため、第2期はもしかすると、
「帝国がどのように破滅へ向かっていくのか」
を描く物語なのかもしれません。
第1期では、ターニャの強さが戦況を変えているように見えました。
しかし第2期では、その圧倒的な個の力でさえ、巨大な戦争という流れの中では一つの駒に過ぎないことが見えてきます。
個人では勝ち続けている。
それなのに、国家としては少しずつ破滅へ近づいている。
この対比が、第2期をかなり面白くしていると思います。
戦争の出口。
これは現代でも簡単には答えの出ない問題です。
本作は、この難しい問いにどのような答えを出すのでしょうか。
そしてその時、ターニャは何を感じ、どのような道を選ぶのか。
続きがとても楽しみな作品です。