<あらすじ>
「驚いた。わたしのこと見えてるんだ」
どこかで聞いたような台詞。思春期症候群を“プレゼントしている”と語るミニスカサンタは、咲太に告げる。
「……わたしはね、霧島透子って言うの」
SNSで流行する予知夢、正体不明のネットシンガー、ポルターガイスト……
謎めいた現象とともに、心揺れる少女たちとの不可思議な物語が再び始まる。
思春期は、まだ終わらない――
<レビュー>
『青春ブタ野郎』シリーズ第2期がついに完結しました。
全体としては楽しめましたが、個人的には第1期ほどの完成度や感動には届かなかったというのが正直な感想です。
とくに、本作のもう一人のヒロイン「霧島透子」の正体が映画に持ち越しとなった点は賛否分かれると思います。
こうした構成は「続きが気になる」余韻を生む反面、視聴者に対する不親切さや商業的な引き延ばしと受け取られる可能性もあります。
■ それぞれの編の感想と違和感
今期は4人のヒロイン編で構成されていましたが、どれも設定や結末にややモヤっと感が残りました。
卯月編:思春期症候群が「空気を読めるようになる」という成長の一環のようなもので、解決しなくても良いのでは?と感じました。
赤城編:パラレルワールドの自分と入れ替わる設定は面白いですが、「体に落書きできる」仕組みの説明が不十分。
姫路編:恋愛感情が引き金で「相手のことを覗き見られる」設定はロジックの接点が薄く、ややこじつけ感あり。
寧々編:人格が変化したはずなのに、福山拓海と少し話しただけで一気に解決してしまい、描写の省略が気になりました。
■ 映画館への誘導構成と個人的考察
最終的に「霧島透子の正体は映画で」という構成になりました。
私自身はこのように視聴者の時間や興味を引き延ばすようなマネタイズ手法には疑問を感じます。
とはいえ、ここで少し考察を――
私の推測では、霧島透子の正体は「美東美織」ではないかと思います。理由は以下のとおりです:
作中で思春期症候群にかかっていない唯一の登場キャラ
寧々が「誰からも認識されない状態」だったにもかかわらず、美東だけは彼女を認識できていた
PVに登場する透子の髪色・前髪の形状が美東と酷似
不必要なキャラを何度も登場させないという作劇の原則から、彼女の存在は何らかの意味を持っているはず
思春期症候群がSNSや人間関係にまつわるものであることを踏まえると、彼女にも何か心の傷や願望がありそうです。
■ 総評
2期全体としては作画・演出・キャラクターの描き方において高い水準を保ち、「日常に潜む不思議」と「思春期の心の葛藤」を描くシリーズとしての魅力は健在でした。
ただ、終盤で重要な謎を映画へと持ち越すことで、作品単体としての「完結感」にやや欠ける部分があったのも事実です。
私としては映画には行かない予定ですが、本作の良さは確かにあり、シリーズ全体として見れば心に残る作品でした。
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