この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません。
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大荻山《おおぎやま》剛三郎《ごうざぶろう》は、焦燥に駆られていた。
ここまでは、圧倒的な演算能力を誇る兵器の力で、UFBの特殊個体を蹂躙《じゅうりん》できていたはずだった。だが、直線的で読みやすかった怪物の動きが、突如として変貌したのだ。
AIの予測を超える機動力で「目」となるドローンを次々と破壊し、8機あった機体は残り2機まで数を減らした。
最強のAIは目を失って情報が不足、ただの箱に成り下がろうとしていた。
そしてその牙は今、大荻山の乗る装甲車(DD-24)へ向けられている。
本能的な恐怖が大荻山を突き動かした。「SUB11Fを手動に切り替えろ! 当たらなくてもいい! 直線軌道に弾幕を張れ! 特攻されれば20秒で接近されるぞ!」
度重なるAIの指示変更で右往左往していた副砲は、手動への切り替えでようやくその首振りを止めた。 といっても、狙いが定まったわけではない。高度な迎撃システムはただの『火を噴く筒』へと成り下がり、暴力的に弾丸をばら撒き始めたに過ぎなかった。
「よし、それでいい。戦車(YA-24)とのケーブル切断。我々は戦車を盾に後退する! 散開させていた一般車両も戻せ。もう囮《おとり》にもならん!」
戦車に搭載されたSUB11Fは、本来なら精密なAI制御でドローンを撃墜するシステムだ。
手動での連射など想定外であり、残弾的にも排熱的にも30秒が限界だった。
さらに、AI本体を搭載している装甲車とのケーブル切断は、AIアシストの完全放棄を意味する。AIを前提にした兵装が、AIを切る。
誰の目にも明らかだった。戦車は、捨て駒にされたのだ。
慌てて後退を始める装甲車。それを援護すべく戦車が火を噴くが、手動の乱射が怪物に当たるはずもない。弾丸は怪物の回避行動の前に虚しく空を切り、時間だけが浪費されていく。
それは、まさに「死への時間稼ぎ」でしかなかった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
戦車内では、女性リーダーの鋭い怒号が響いていた。
「もっと右! 相手の切り返しをよく見て! 気合で食らいつきなさい! 主砲、弾種換装! L2炸裂弾よ、信管設定は1秒! 急いで、あと20秒で副砲が尽きるわ!」
しかし、重量級のSUB11Fを手動旋回させ、超高速機動する物体に直撃させるなど、土台無理な話だった。照準は遅れ、焦りだけが募る。
「クソッ! せめてAIのアシストさえあれば……ッ! 換装、急ぎなさい!!」
「あの老害《ジジィ》はどうでもいい! でもね、後ろの同胞と民間人は守るのよ! 気合入れなさい!!」
悲痛な叫びも虚しく、SUB11Fは一発も命中させることなく、静かに弾切れを迎えた。弾幕が止む。
それを見透かしたように怪物は回避行動を止め、一直線に戦車へ突っ込んできた。
「今よ! 主砲、撃てェッ!」
「ズゥゥン!」
低い独特の砲撃音とともに、砲口から閃光が迸《ほとばし》る。放たれたL2炸裂弾は瞬時に起爆し、無数の子爆弾をショットガンのように撒き散らした。
ーーこの至近距離!しかも直進コース!『点』ではなく『面』で叩けば落ちるはず!
女性リーダーの勝算は、一瞬で砕け散る。
「敵、直前で軌道変更! 上です! かわされました! ダメージなし!」
彼女の目が見開かれ、張り詰めた汗がこめかみを伝う。コンマ一秒の硬直。それを自らの怒号で無理やり断ち切った。
「回避! 全速で下がりなさい!!」
だが、その命令に車両はピクリとも反応しない。
「どうしたの、回避よッ! 上から来るわよ!!」
操縦士が、震える声で答えた。
「操……作、不能。管理者によるコマンド介入です……コマンドは、『自爆』」
女性リーダーが怒りと絶望に顔を歪めた、その時。
戦車の上部ハッチが飴細工のようにぐにゃりと押し潰され、車内にあの化け物が降り立った。
生じた衝撃波が、搭乗員たちを一瞬で肉塊へと変える。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
数秒前。装甲車(DD-24)内。
「先生! いくら何でも見捨てるなんて!」
「うるさい! 女風情が口を出すな! それに、無駄死にはさせんよ。YA-24には機密保持機構があってな、私のコマンド一つで火薬庫を誘爆できる。……全弾薬で吹き飛ばせば、たとえ怪物だろうと無事で済むものか!」
「先生! 戦車の上から怪物が!!」
激しく揺れる車窓越しにも、炸裂弾の閃光を背に影を落とす怪物の姿が見えた。そいつは躊躇なく、戦車の直上から降下を始めている。
「死ね!!」
大荻山は愉悦に顔を歪め、自爆命令を確定させた。
数秒後。
直上から貫かれた戦車が、一拍も置かずに爆縮し、弾け飛んだ。逃げ場のない爆圧が分厚い装甲を内側から押し上げ、鋼鉄の巨体が粘土のように歪む。
裂けた装甲の隙間から紅蓮の炎が噴き上がると、それは驚くほど美しく、そして残酷に、すべてを粉々に爆散させて黒煙に変えた。
「がはははは! サルがぁ! 自ら檻に飛び込んで自殺しおったぁぁ!」
黒煙が風に巻かれ、燃え盛る残骸の中から「白いもの」が揺らめく。
「先生! ああ……あ、あれ!!!」
同乗していた愛人が、引きつった悲鳴と共に指さした。
大荻山は我が目を疑った。
あろうことか、怪物は上空で「女王」と呼ばれる個体と合流し、二人掛かりで戦車へ突入していたのだ。
当然、女王型はあの白いシールドを全方位に展開している。
やがて、傷一つないシールドをすり抜けるようにして、王と呼ばれる怪物が、ゆらりとその姿を現した。
大荻山が、裏返った声で絶叫した。
「全速で逃げろ!! 一般車両は私の盾になれ!! 生き残ったら何でもくれてやる! 死んでも家族に金を出す! とにかく守れ!!」
装甲車(DD-24)は、最高速度こそ戦車を上回るが、唯一の欠点はその初速の鈍さにあった。
重量級の装甲車がトップスピードに乗るまでには、相応の助走距離を要するのだ。
YA-24に自爆コマンドを確実に送るために減速していたことが、ここに来て致命的な仇《あだ》となる。再加速には、絶対的な時間が足りない。
さらに、追い打ちをかけるような事態が発生した。
大荻山の命令に反し、装甲車が急ブレーキをかけて停車してしまったのだ。
「な、な、何をやっている! 速度を上げろ、死にたいのか!! 一般車両も早く盾になれ!! もたもたするな! 私が死ねば恩賞もないのだぞ!」
だが、装甲車はピクリとも動かない。操縦兵が悲鳴に近い報告を上げる。
「先生! い、一般車両が……前方に停車して進路を塞いでいます……」
「ばかな! 何をやっている!!!」
バス、トラック、乗用車。それらが示し合わせたように、装甲車の進路を塞ぐ形でバリケードを作っていた。人々は次々と車両を放棄し、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
大荻山は慌ててバスの運転手に無線を飛ばした。
「何事だ! 邪魔だ! バスをどかせ!」
無線から、冷え切った、それでいて怒りに震える返答が返る。
『先生! もううんざりだ! 盾になれだと? あんたは、これまで何人殺した! 盾になって死ぬくらいなら、先生を盾にして俺たちは逃げさせてもらう!』
「なっ……きさまら!!」
それを聞いた装甲車の操縦兵が叫ぶ。
「ダメです先生! DD-24はあくまで後続車、戦車ほどのトルクはありません! バスやトラックを無理やり押しのけるには時間がかかります!」
その間にも、怪物の王は確実に距離を詰めてくる。
距離はすでに5mを切っていた。
「いやぁぁ、たすけてぇええ!」
愛人の女がパニックを起こし、その恐怖は同乗する他の要人にも伝播する。
「先生! 何とかしたまえ!」
「これはどういうことですか! ミスター大荻山!」
装甲車はバスの側面に直角に接触すると、エンジンを唸らせて全力で押しのけようとした。焦った操縦兵が、アクセルを床まで踏み込む。
怪物が目前に迫る極限の恐怖。
だが、その状況でも大荻山は、アクセルをベタ踏みする操縦兵のミスを見逃さなかった。
ーー空転するエンジン音
大荻山は操縦兵に具体的な指示をまくし立てた。
「馬鹿者! コイツはタラメア式オートギア制御だぞ! アクセルを一気に踏むな! 回転数に合わせてゆっくり踏み込め! 空転して動かんぞ!!」
その不毛なやり取りの間に、怪物はDD-24へとたどり着いた。
大荻山は、震える声で虚勢を張った。
「狼狽《うろた》えるな! この装甲車はYA-24の主砲すら弾き返す! 耐衝撃、耐熱、最強のシェルターだ。落ち着いてバスをどかせばいい!」
その言葉が終わるか終わらないかの時だった。
装甲車の後方ハッチ、そのロック部分が赤熱し、まるで水飴のようにドロリと溶解し始めた。
「きゃあああああああ!」
愛人の悲鳴が鼓膜を裂く。
直後、溶けた装甲の隙間から怪物の手がねじ込まれた。
「グギィ」
嫌な金属音が響き、分厚いハッチが紙屑のようにこじ開けられる。
大荻山、愛人、要人、そして私兵たちが凍りつく中、怪物は不敵な笑みを浮かべてそこに立っていた。
驚くことに、怪物は流暢な日本語で問いかけた。
「……お前らが指揮官か。俺をここまで無様に追い詰めた人間の顔を拝むために、丁寧におもちゃを壊してみたんだが……どいつが大将だ?」
「この人よ!!」
愛人が即座に叫び、大荻山の背後へ飛び退く。
「この、バカ女ぁぁぁ!!!」
大荻山が激昂するが、他の乗客もこれに乗じた。
こともあろうか、彼が金で雇った私兵たちまでもが、大荻山の背中を怪物の前へと押し出していく。
「やめろ! おまえら!! 私を誰だと思っている! 大荻山だぞ! お前らごときとは命の重さが違うのだ! なぜわからん!!」
「やめろ!! 押すな! こんなことをしてタラメアが黙っていると思うか! おい、お前の今の地位は私があってこそだろう!」
「頼む、やめろ!! なぁ、愛し合った仲だろう! やめてくれ、ああ、おい! 誰か、金ならやる! 助けろぉぉぉ!」
大荻山の必死の訴えに耳を貸す者は、誰一人としていなかった。
怪物の鼻先へ突き出された大荻山は、引きつった顔で怪物にすがった。
「に、日本語が分かるのか! 私は大荻山。この国でもっとも尊い人間だ! 私を殺さずに上手く使えば、この国、いや大国タラメアさえも簡単に占領できる! どうだ! 私を助けてもらえないか!」
怪物は、氷のように冷たい目で大荻山を見下ろした。
「どんな切れ者かと思えば。はぁ。……時間の無駄だったな」
吐き捨てるように言うと、怪物は装甲車の車内へ向けて、深紅のブレスを解き放った。
超高温の吐息は一瞬ですべての酸素を奪い、肺を焼き、車内の人間は全員、断末魔の一言も発することなく灰となった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
ベルガンは自分の無能さを悔いていた。
気高い敵の指揮官に押されていたと思っていたが、顔を拝んでみれば保身しか能のないクズだった。
そんなものに後れを取った自分が、情けなくてたまらない。
だが、感傷に浸る時間はない。神の命令は絶対だ。
『一人でも逃がせば負け』——その勝利条件を満たさねばならない。
ベルガンは冷徹な思考に切り替えると、サーチの追跡能力を借り、散り散りに逃げた人々を一人残らず捕捉し、始末していく。
慈悲も、愉悦もない。ただの作業として、すべての命を刈り取った。
静寂が戻ると、ベルガンはサーチの元へ戻った。
「サーチ、お前大丈夫か?」
サーチは少しだけ勝気な笑みを浮かべる。
「何? 私がこれくらいで、どうにかなると思ったわけ? ふっ。おやさしいこと!」
ベルガンは元気そうなサーチに安堵を覚えつつ、ヴァロンに報告した。
「任務完了。逃亡者なし。……おかげで完全勝利だ。帰還する」
だが、その一部始終をじっと見つめる「目」があった。
超高性能赤外線カメラを搭載した、一機の自衛隊偵察ドローン。
その眼差しの主は、天才——篠原《しのはら》涼音《すずね》であった。